私が24時間テレビを苦手と思う理由(ありきたり)


さて、私は24時間テレビが苦手です。
といっても私自身テレビは1日に1時間も見ないのでなんともいえないのですがw

そんな私が苦手とする理由をただただ書き連ねていこうと思います。

募金を促すための番組作りが気になる

とりあえず第一は、募金を促すためのドラマや作られた感動が苦手です。
なんて言うんでしょうか。
同情を誘う詐欺というか手口と似ているなと思ったりもします。

「今俺の両親が入院しているんだ。医療費が300万円必要なんだけど払えないんだ……」

とまあこんな感じに突拍子に言われても、言われた側も

「大変なんだね」

で終わってしまいます。

24時間テレビの場合は、その前段階からしっかりとストーリーを築き上げます。

(素人が書く例なので拙いですが……)

――息子が免許を取得して初めて両親を載せて旅行に行く
――不運なことに交通事故を起こしてしまう。
――運転していた息子はシートベルトを装着していたが、後席に乗る両親はシートベルトを装着していなかったため車外になげだされてしまう
――すぐに救急車を呼ぶが意識不明の重体
――なんとか意識を取り戻すが、脳脊髄液漏出症となってしまう
――先進医療であるブラッドパッチ療法を受けるためのお金として300万円必要

最初の一言だけと比べてどうでしょうか? 感情移入してしまう分、より寄付をしたくなると感じると思います。
悲劇のストーリーであればあるほどより寄付が集まるのかなと邪推してしまいます。

このストーリーを映像を混じえて創るくらいならその分を寄付したらいんじゃね?
と個人的には思うのですが、多分このストーリーを創る以上のお金が24時間テレビでは集まるのだと思います。

確かに聞いたことも内容な難病で苦しんでいるということを知ると助けたくなる気持ちもあります。
であれば簡潔に、病気の内容と必要な寄付額をさらっというだけでいいと思います。
むしろそれなら、邪推なしに寄付するかもしれません。
「私は」ですが。

マラソンって……

正直見てないのでわからないのですが、あれってなんのために走っているんでしょうか?
最後まで努力すれば走れるよ! ということでも言いたいのでしょうか?
走りぬいたという結果はめちゃくちゃすごいことだと思うのですが、ゴール地点をどうにかできないでしょうか。
日本武道館など大観衆があつまる地点をゴール地点にする意味があるのでしょうか?
何もない場所(というと言い方が悪いですが)へのゴールでいいのでは?
そうすると、ゴールしたマラソンランナー張本人も、意味があったのかを再度考えさせることができると思います。

っていうか、日本武道館貸しきるのはいくら掛かるんだろうw

万が一の話ですが、何か起きたらどうするんでしょう。
万全のサポート体制だからそんなことは起きないと思うのですが心配ではあります。

また一般人がこれをやったところで何の支援にもならない。
まだ24時間ゴミ拾いとかし続けたほうがよっぽど世の中に寄付できていると感じます。

結局のところ非理論的なのが苦手なのかな

どれだけ書いても皆書いていることとかぶってしまうので、自分の中でまとめちゃいましたw
みんなと意見が一緒ってのはあまり好みじゃないのですが、論理的なのでむしろ賛成です。

・タレントのギャラを寄付すれば?
・マラソンランナーに使うべきお金を寄付すれば?
・お涙頂戴ドラマ創るならその分寄付すれば?
・チャリティ?? ううん、ビジネスです。
・愛で地球は救えません

うん、スマート思考で好きです。

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